水琴ブログ

水琴窟と梵鐘の音曼荼羅

今日は、久しぶりに音の編集をしました。それは、梵鐘の音です。京都にはいくつか有名な梵鐘がありますが、この音は、非常に難しいのです。まず波長が長いこと。これは、水琴窟と全く逆ですが、波長の長い音がベースにあって、その倍音で構成されています。波長が長いと本来はデジタル録音には向きませんが今回は録音は終了してますのでこのことはまたの機会に譲ります。次に聴感です。梵鐘の音は、鐘を叩く打撃音が鐘の内側で共鳴して外側にいる人へ全体の響きとして伝わります。録音物はマイクから採取された音ですので、実際に人の耳に届いている状態ではありません。かつて擬似的に人形の耳の位置にマイクをつけて聞いている状態と同じように録音する技術が話題になったことがありますが、それでも実は人の聴いている聴感とは全く違っていたのです。ここに風景として使う音の難しさがあります。


換気扇の音を気にしながら生活する人は珍しいでしょう。しかし、録音するとびっくりするほどその音が目立ちます。それは、物理的に大きな音がしていても意識的にあるいは無意識的に人がその音量調整しているからです。絵画の世界でも注目するものを実際に見える大きさ(バランス)よりも大きく描く技法がありますが、音の世界でもそれと同じようなことが必要になります。梵鐘の音を風景として聞かせるか、それとも音響機器(楽器)として聞かせるかによってその音の構成が変わるのです。このことは、水琴窟やその他の音風景に共通した課題です。かつて水琴窟の調べや声明の語らいを編集したときに徹底的に行いました。例えば振り返るとそこの音風景はがらっと変わってしまうのです。私が編集するときに意識することは、主人公の動きです。主人公は聞く人ですから作品には出てきません。たとえば京都音風景シリーズでは、ゆっくりとした気持ちで回遊する人を想定しています。アクアシンフォニーシリーズでは、たたずんで目を閉じて聴く人を想定しています。さて、今回の梵鐘のテーマは、場です。場を感じられるか。梵鐘を聴くときに耳に手をやる人はいません。聞きにいく音ではなく「聞こえる」音なのです。これが難しい。なぜならメディアは聴きに行くものだからです。簡単に言えば本物が一番なのですが、それを聞こえるようにするのがテーマです。ゴーん?ごーン?とやっていました。音の世界は空間芸術です。水琴窟や梵鐘などの倍音をたくさん含んだ良い音を使って曼荼羅のような音の世界をつくってみたいと思っています。音はストレートに心象風景につながりますから、癒しには即効性があるからです。発表するときは、いち早く坪庭でお知らせします。

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